不倫というと悪いというイメージがありますが
私は不倫している人間や不倫したことがある人間のほうが
人間的に奥が深くて良いと思います。
過去に一般的に悪と思われていることを経験した人は
人を許すことができたり、人の痛みがわかったりするので
なにかと相談をもちかけられたり、人から慕われているような気がします。
人間性が顔にでるのか魅力的です。また会いたいなと思う人が多いと思います。
逆に過去に悪いことを全くしてこなかった人間のほうがタチが悪いです。
ただ悪いことをしてこなかっただけで、
社会的に悪いといわれていることをした人間をどこまでもこき下ろし、
イジメまくります。
自分達がその人間を正義という名のもとに神の代理人のごとく裁く権利があるがごとく振る舞います。
その時の顔といったら、すごく醜い顔だなと思います。
他にやることがないのかなってくらい
悪質な方法でいじめてきます。
そういう人間は法律を盾に色々いってきますが、
その人間のストーカー的なイジメ
(自分のことを正しいと思っている人間はストーカー的なイジメをする)
のほうが不倫よりも法律的にやばい気がします。
そういう人間は正義や法律だけではなく、
不倫された家族の代弁までしてきます。
相手の人の家族がかわいそうよとか、
貴女の幸せは、相手の家族の不幸になりたっているのよとかいってきます。
余計なお世話だと思います。
本当にその家族のことを思っているのではなく、
ただ自分がいじめる時にその家族のことを利用しているにすぎません。
利用するっていうほうがタチがわるいと思います。
ちなみに不倫をやたらと部外者なのに
責めている人間に共通しているのは、
自身が不倫されて離婚した経験がある人だったり、
男性からも女性からもウザがられている人です。
私からいったら、これじゃ他の女性をもとめちゃうな〜っての性格が多いです。
正論ばかり言ったり、思いやりに欠けたり、
パートナーを蔑ろに扱うなど、小言ばかりいう人です。
家庭でもそういうことやる人って、
職場や、スポーツクラブや飲み会などにもそういうことしてきます。
男性でいうとモラハラ夫ってもう公認されていますが、女性版モラハラ妻です。
ただ、
バツイチって女性だと凄く同情されるから、
結局被害者のままの気分でいるから自分が悪いだなんて思わないんです。
自分達はパートナーを傷つけてしまったって
だから平気でまた人を傷つけれる
そういう人達の正論ってグウの音もでないくらい正論です。
どの場面でも
おっしゃる通りってかんじで
ただそれだけでそれで癒されたり、為になったことはないです。
正論では抑圧はできますが
人の心まで惹きつけることはできません。
めんどくさそうな人間だから
気をつけて接してあまり関わらないようにしようって思うだけです。
ただし
そういう人間はしきりたがり屋なのでなぜか
中心人物でいることが多いです。
印象的なのは顔です 。
不倫した人間をひそひそ言ったり、
ハブにしたり、虐めている時の顔はとても醜いです。
逆に不倫した人間のその時の凛として、
イジメに耐えて顔を精一杯上げている顔はとても美しいです。
不倫した人間も色々思うことはあると思いますし、
不倫したことが明るみにでた時は大変なのは確かです。
しかし、
それに耐えることで人間的にとても大きく、
さらに魅力的な人間になる人が多いです。
確かに、
相手の家族に不愉快な思いをさせたかもしれません。
しかし、人間は知らず知らず、互いを傷つけながら生きています。
だから相手を許すっていうことが大事だと思うんです。
結果から見てみると、
では、なぜ不倫した人間の顔のほうが美しく見えるのか。
そして正論を言っている人間のところではなく、
どうして不倫経験のある人間のところに相談ごとが舞い込んだり、
後輩や仲間から頼りにされてしいまうのか。
人間の感情は理屈や法律では納得できないことや、
解決できないことがたくさんあります。
そういった時にやはり、間違いというものを知っていたり、
辛いことに耐えたり、痛みをしっている人間のところに
人は知らず知らず集まってくるのではないでしょうか。
法律や正義は温かくも優しくも、思いやりがあるものではありません。
そういうものを振りかざす人間と痛みや間違いを知っている人間
自分が困った時どちらに相談したいでしょうか。
ウザがられ、煙たがられる人間と相談を持ち込まれる人間どちらになりたいでしょうか。
マグダラのマリアは聖人と扱われていますが、
マグダラのマリアに石投げた人達は聖人にはなりませんでした。
不倫という過ちを身をもって知っていることは強みでもあるのです。